HiNativeやLang-8など、相互に言語を教え合うサイト/ウェブサービスがある。
例えば英語を学びたい日本人と、日本語を学びたい英語ネイティブの人が、お互いに教え合うのだ。
これらのサービスの特徴は、”ユーザー同士が教え合う”ことで、相互にプラス作用が生まれることだ。基本使用料は無料だ。
インターネットの可能性はすべてここにあると思う。
“誰でも”、”相互に”、”お互い”、”無償で”、”助け合う”。
LinuxなどのOSはこのようなウェブの特性から発展してきたし、世界的な辞書サイトのWikipediaなどもまさにその典型だ。
Wikipediaのグローバルランクは7位だ。(2016年7月25日現在)
世界に星の数ほど存在するウェブサイトの中で、7位。
驚異的な数字だ。
カテゴリランクでは1位。(Reference > Dictionaries and Encyclopediasカテゴリ)
これが「学習」に波及する可能性は高い。
現段階ではKhan Academyなどがあるが、これはあくまでも特別な投稿権限を持つ「先生役」しか投稿することは出来ない。
非常に惜しいところまでいっているが、おそらくこれでは爆発力は生まれない。
仮にこれをYOUTUBEのように、誰でも勉強解説の動画を投稿できるようにしたら何が起こるか。
爆発的に「勉強を教える動画」が増えるだろう。
YOUTUBEは、あくまでも商品の紹介動画だったり、再生数を稼ぐための動画が多い。
他の「人気投稿者」に負けないように”過激な動画”をアップする傾向がある。
それはそれで楽しめばいいが、ウェブの無償性の特性を利用しきっているとは言い難い。
YOUTUBEのコンバージョン(サイトの最終目標)は「広告再生数の増加」や「商品の購買(アフェリエイト)」だからだ。
無償性が桁違いな真価を発揮するのがインターネットの醍醐味だ。
Lang-8やHiNativeなどを利用したことのある方なら分かると思うが、
お互いが無償で助け合い、高め合い、そして「誰かの為になっている」という実感が受けられる。
これこそが、人を動かす最良のモチベーションとなる。
Wikipediaにしても、必要最小限のコストで、世界1位の辞書サイトになった。
登場当初は「信頼性が確保できるのか」などの懐疑的な声も多かったが、管理人の努力や、世界中のボランティアの力もあり、ある一定の信頼性を維持している。
仮に学習向けに特化した動画投稿サイトが誕生すれば、学習、教育という概念が一変するだろう。
高い塾に行かなくても、誰でも公平に教育を受けられるようになるかもしれない。
不登校にならざるを得なかった生徒も「教える」ことで誰かと繋がることができる。
主役になるのは、賃金を対価にして教育を行う者ではない。
「勉強を教えることができるごく普通の学生」だ。
どのクラスにも、勉強を教えることが上手な人がいるだろう。
数学が得意、理科が得意、英語が得意、国語が得意、社会が得意、芸術が得意。
場合によっては単元ごとに動画を区切る。
おそらくそのようなサービスが生まれると思っている。